| 高浜町内浦には集落が11区あるが、町内の案内板を見ても、なぜか白井(しで)集落が記入されていない。町内の人々に聞いてもわからない。内浦の人々しか知らない、忘れられた地名である。 |
|
| 国道27号線を青葉山に向かって走り、日置(ひき)の集落から右に曲がり、トンネルを二つ抜け海岸線を走り、難波江(なばえ)区から左には入り山道を登る。この道は内浦線であり丹後へと続く。京都府舞鶴市に行く道である。青葉山の山林の道を10分ほど走ると開けた場所に出る。内浦で一番大きな集落、山中区である。小さな森があり、この場所で車をとめると右に内浦湾、左は青葉山北側である。この方角からは、山頂がなだらかに見えるので、なぜこの山が若狭富士と呼ばれるのか、初めての方は戸惑うだろう。 |
|
| 上を見れば白井集落である。そこへ車を進めてみると内浦湾が一望できる。大パノラマが望め、そこには古き日本の田園風景棚田が残っている。 |
|
| 内浦湾は火口であり、内浦の人々はすり鉢状の大地に集落を作っていたが、多人数になり、青葉山から出る湧き水や、作物が出来る大地を求めて移動したと思える。 |
|
| 日本の地名に白井(しらい)と呼ぶ地名はあるが、白井(しで)と読むものは見当たらない。老人の話では、古代、飲み水がなく、青葉山の近くに白き湧き水が出たためその場所に井戸を掘り、清らかな水と井戸ができたので、その場所を白井(しで)と呼んだという。 |
|
| この種の地名を「シラキ」(新羅居、現在の韓国である)、古代の新羅からの渡来人の居住地とするのは無理であろうか? |
|
| 青葉山には土蜘蛛伝説(土着民)、白馬伝説など多くの昔話が残っていて、古代の丹後へ続く道は、白井集落を通り西国三十三ヶ所松尾寺へと続く巡礼道でもあった。その道は今でも残っている。青葉山に近く、植物、昆虫の多くの種が見られる宝庫でもある。海人にとっては青葉山は独立峰であり灯台の役目もしていただろう。 |