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おおい町

おおい町
Ohicho

おおいちょう


2006年3月、大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が合併し、大飯郡おおい町が誕生した。

(旧)おおいちょう


地名は地域の表札であり、祖先から贈られた文化遺産である。大飯町の歴史は、遠くは古代までさかのぼる。大島半島では数々の古代遺跡が発見されているし、以降、平安期にかけて薄手の丸底土器も多く出土しているという。中には大型製塩土器も見られ古くから優れた技術がこの地に根づいていたことを知ることができる。中世になると、「佐分」・「本郷」・「岡安」という当時この地を治めていた豪族(荘園の長)の名が地名として古文書中に登場してくる。
江戸期小浜藩領となり、大島半島を中心に海岸沿いの漁業、山間部での桐、煙草、桑などの栽培が盛況であったとの記録も残っている。学問的な考察はさておき、古代からこの地に住み、産業・文化を残してきた先人達の営みの一端を地名という窓から窺い、秘められた伝説・説話を知り、難読の謎に近づき、そこに込められた意思を感じ取った時、大きな感動と愛着を覚えるに違いない。
地名は単なる記号ではない。この地の歴史と文化を次世代へ引き継ぐ重要な役目を持っている。「父子」・「犬見」「日角浜」さて何と読むのか。訓で読んだり、音で言ったり、音訓入り混じって表現する場合もある。「どうしてそう読むのか」どんな隠れた話があるのか。
大飯町には、今も昔も伝わる祭・祈り・伝統行事に少しは関係があるかもしれない。想像の世界はどこまでも広がっていくのである。
桑原 実


(旧)なたしょうむら


「なたしょうむら」。小浜市の南に位置し、京都府と滋賀県に隣接するこの村は、もうその優美な名前の音の響きからして都の風が感じられてくる。
昔、大陸から若狭小浜に上陸した文化が、京や奈良に送られたときにも、逆に都の文化が若狭小浜に行くときにも、この村を通っていったのである。都からほど近く、ほど遠い、というこの地は、仁安3年(1153年)に名田庄荘園として開発されて以来、争奪戦が絶えなかったという。名田の庄(めいでんのしょう)とも言われたほど良い米が獲れた地だった、ということと関係があるのだろう。が、京の公卿・土御門家の荘園になって以来、朝廷や幕府の庇護のもと、穏やかな里になった。
土御門家というのは、平安時代、朝廷に仕えた陰陽家阿部清明の子孫の家柄。清明は天文や暦などの知識をもって占いをよくし、特に村上・花山両天皇からの信任厚かった人。おそらくその信の厚きにより、子々孫々に至るまで庇護を受けることになったものと思われるが、特に応仁の乱による京都の乱れ以降、土御門家は若狭のこの地に住みつくことになった。当然、都の言葉や生活習慣、文化もこの地に根付いていったわけである。名田庄に行くと家の佇まいなどに、「あぁ、都風だな」と思わせるものが今もある。長い都人との生活の中で伝わったものかもしれない。今も特筆できる星空の美しさもまた、陰陽道の大家が住んだ地であることを納得させる。
満天の星空のもと、言い伝えや伝説にじっと耳を傾けていると、豊かな心もちになっていく、そんな里である。
西本 梛枝






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