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小 浜 市

生守
Igomori


い ご も り


この地区は、かつては南側の下流右岸に位置する40戸前後の農村で、昭和28年の秋に若狭地方を襲った台風13号では、大きな被害を受け、村人は一丸となって復興にあたった。その後、昭和50年代に入って、地域開発が進められ、また市街地に隣接することから、平成に入って人口は急増し、静かな田園地帯が、今と昔が混在した地域に変貌した。
この地区の大抵の人は、「生守(いごもり)」という地名を、「いもごり」と言う。「いごもり」というより「いもごり」と言った方が、言い易いのだろうか。
そんななかの老婆は、「わしの若い頃は、畑で仕事しとっても、この道を歩いてくる人の姿が見えたもんやったが」と地域の変わりようをつぶやき、「けんど、どんだけ世の中が変わっても、お陽さんの出入りは、昔も今も同じや、川向こうの谷田部は朝が早いし、川のこっちゃにある尾崎やら、野代、生守は昼が長いんやで、あいこやなあ」と思いを語る。地名のことについては、「この世に生命をもろうたもんは、草であれ木であれ、小っちゃな虫であってもみんな守ってやらなあかん。わしはこの村に生まれてこの方、ずっとこのことを考えとるんや。生守いう名も『生まれたもんを守ってやる』ちゅうこっちゃろうな。」と語った。


生守集落


ひとくちメモ
若狭塗りは、400年前の慶長年間に当小浜藩の漆塗師が中国の漆芸にヒントを得て、海底の有様を意匠化し創始した。これに改良工夫を重ねて「菊塵塗」を、その門人が「磯草塗」を創り、現在の卵殻金銀箔押法は、万治年間に完成し、藩主酒井侯がこれを「若狭塗」と命名。家中足軽の内職として保護奨励したため、天明以降名工を輩出し、「菊水汐干」等の優美な意匠が考案された。






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