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| 小 浜 市 |
| 現在、小浜市上中井区に属する五十谷(いかだに)という地名は、この辺りの人々には、小字としてよく呼ばれる地名である。 |
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| 奈良時代には、5〜6戸の集落であったと言われており、平安時代には、「伊加野(いかの)」という地名で現れていた。鎌倉時代には「伊加谷」と見え、これを「いかだに」と呼びならわすようになったのではないかといわれている。 |
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| 戦国時代には、若狭国主武田家の重臣寺井兵部少輔が領有し、この地区の西側の通称「立山」に山城として谷小屋城(たにのおやじょう)を築き、五十谷・窪谷・桂木・飛川などを治めていたが、明智光秀に組して没落したと伝えられている。この時期に、城下となったためか、人口が急激に増加したのではないかと考えられ、江戸時代には、「伊加谷村」として家数85戸、人数405人、農地179石余という記録がある。江戸時代末期には「五十谷村」となっており、どうして変わったかは分からない。 |
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| 集落西側の山裾には、天承13年創建と伝える日蓮宗玄法山、妙祐寺(みょうゆうじ)がある。このお寺には、枝垂れ桜の大木があって、毎年春には、花が咲きライトアップされた花見で賑わう。 |
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| 五十谷集落の大桜 |
| ◆ | ひとくちメモ |
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「若狭和紙」は、小浜藩主酒井忠勝公の冶世((1634〜1356年)にコウゾ・ミツマタの栽培を奨励したことによって製造が盛んになったと伝えられている。精選されたコウゾを原料として漉かれた「若狭和紙」は紙質が純良で強く、また色も美しい。美術工芸紙も手がけ、和紙人形の材料として使われている。
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