多田ヶ岳を、毎日眺めて暮らしている遠敷の人や、若狭の人々は、子供の頃から「おにゅう」と読んでいるが、初めて来訪される方に尋ねると「えんしき」「とうしき」等と読まれることが多いのも、仕方のないことであろう。
全国的にも有名な奈良のお水取りの起源について記されている『東大寺要録』の中には、遠敷明神の名と共に「若狭国遠敷郡」と明記されて、「遠敷」の地名が出てくる。ところが、難解地名の最たるものの一つとされていて、明治時代の『全国難訓辞典』にも出ていると聞く。 |
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| この語源については、江戸後期、郷土が生んだ国学者伴信友が、『若狭旧事考』において、「さて、遠敷という義(こころ)は美しき丹土(につち)の出るところ多し、故に小丹生(遠敷)といふ」と書いている。昭和30年以降「平城京」や「藤原京」跡から「小丹生(おにゅう)郡」との地名を表記した「木簡」が出土している。また、『続日本記』によると、元明天皇の時代(707〜715年)に「官命」が出され、「小丹生」から「遠敷」に変わっており、その時期と理由が確認できる最適の資料となっている。 |
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| しかも、平成3年には、郷土研究家と専門家によって、遠敷の山中で、古い洞窟が発見され、「辰砂(朱)」が採取されたうえ、水銀含有が証明された。このことによって「丹生は水銀の産地」であり、なおかつ「遠敷は本来、小丹生」であったことが実証された。 |
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| また、「おにゅう」に「遠敷」の字を当てたのは、「遠くまで黄金を敷き詰めた、秋の実りの豊かな土地」の意という説もある。 |