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おおい町(名田庄)

尼来峠
Amagitoge


あまぎとうげ


『昔、高橋権太夫という商人長者がいた。その長者がある年の夏、一人で船を漕ぎ出し、何日かかってとある小さな島に着いた。その島の王は、何年に一度の珍しい客として丁重にもてなしたという。そして、別れる時に「人魚の肉」を土産にくれたのである。
喜んだ権太夫は、帰り着くなりすぐに18歳になる娘にその肉を食べさせた。それを食べた娘は、何年経っても18歳のまま年をとらず、百歳をも越えて娘のまま長生きをするのである。やがて、数えで120歳になった時、娘は髪を剃って尼になり、諸国巡りに旅立った。行く先々で「私は若狭の八百比丘尼なり」と語ったという。長じて800歳になり、とうとう生きていくのが嫌になり、小浜の空印寺の岩窟には入り、自ら命を絶ったといわれる。』
これが「八百比丘尼」または「八百姫」あるいは「玉椿の尼」と呼ばれる伝説である。伝説の例にもれずこの地にも足を止めており、「尼来峠と八百比丘尼」の伝説となった。
『八百比丘尼という若くて美しい尼が、納田終(のたおい)の谷口から山越えで、丹波の何鹿郡奥上林村故屋岡(いかるがぐんおかかみばやしむらこや)の、内尼公という寺へたび重ねて通ったという。村人が忘れた頃になるとこの山路を通る尼は、何年経っても生まれ変わりのような若い尼さんということで、村人の間で評判になり、そのうちに、荒れが「八百比丘尼」だと知れ渡った。納田終・上林の双方から、この山坂道をつなぐ峠を「尼が来る峠」と呼ぶようになり、[尼来峠]と名付けられたという。
また、山坂路に差し掛かる麓の所に定まった休み場があり、尼は往き来のたびごとに、そこで葛を敷いて休んだが、ある年その葛を置き忘れて帰ったきり姿を見せなくなったという。ほどなくして尼は小浜で亡くなったという噂が入り、その時からその休み場のあたりを「葛野」と名付け、それが地名になったと伝えられている。』


尼来峠
尼来峠はかの野麦峠のように綾部市の製糸工場へ
働きに出る若狭の女工が通った道でもある。   






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