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| おおい町(名田庄) |
朝比奈の滝 坂本朝比 |
Asahinanotaki Sakamotoasahi |
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| 名田庄口坂本段の山に居を構えていた朝比奈三郎は、北条軍に攻め込まれて知井坂(血坂)峠に登った。その時、敵の馬のいななきに応じて自分の愛馬がいなないたため、敵の見つかり逃げ場を失い、一ツ谷に下って槍を手にしたまま馬もろとも滝壷に飛び込み最期を遂げた。それ以後この滝を「朝比奈の滝」と呼ぶようになったといわれている。この滝は現在、標高7mぐらいだが、土砂で埋まるまでは滝の幅4m、高さ25〜26m、滝を囲む段壁50m、滝壷6〜7mという規模であった。 |
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| また、近くに朝比という集落がある。ここには朝比奈三郎の守り本尊または愛馬の霊を祀るといわれる馬頭観音菩薩坐像を収めた御堂があり、彼岸と盆には講の人達が御堂にこもってご詠歌を歌う。その一節に「昔より朝日(朝比)輝く御堂にて、仏を頼む新たなリけり。作りたる罪も自ずと消えにけり、昇る朝日の恵みかかりて。ありがたや馬の頭の観世音、導き給え花のうてなに。み仏は後のしるしと岩かげに馬のひづめの跡を残せリ。昔より今も変わらぬ笹の葉に、仏の光現われにけむ。もろ人はそうごうの滝を仰ぎみて、昔のことを思いやるかな」とある。 |
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| 一ツ谷は、かつて弘法大師が諸国布教に廻られた際、この山地が密教の聖地にふさわしいと思われ山中の谷数を調べたところ、100に1つ足りない99谷であったことから一ツ谷と名付けられた。結局谷が足りないので、聖地の場所を高野山に変えられたという。 |
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| 朝比奈の滝 |
| ◆ | ひとくちメモ |
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名田庄村納田終は、その昔陰陽道の大家・安部家の子孫有宣・有春・有脩とその子、久脩が戦国の戦火を逃れて移り住んだと伝えられる場所である。土御門家(つちみかどけ)の有宣・有春・有脩の三代の墓は裏山の薬師堂の奥にあり、自然石で作られた墓標には三人の死去の月日が刻まれている。現在、安部家の屋敷跡には四方鳥居講の天壇が設けられ、祭事が行われている。
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