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おおい町(名田庄)

蛇頭
Jyatou


じ ゃ と う


昔、坂本の虫野の下に大きな沼があり、そこに大蛇が住んでいたという。村中は大騒ぎとなり、神仏にお祈りして大蛇に退散してもらおうと、相談の結果、虫野の上に御堂を建て、薬師如来を祀って一心に祈り続けた。幾年かを過ぎたある日、「わしの弓でその大蛇を退治してやろう」という武士が現われて、川向かいの丘に庵を建て、大蛇の出現を待った。
ある年の夏、大蛇は大きく長い体で丘に這い上がってきた。武士は大蛇に近づき、用意していた弓で矢を放ち、大蛇の頭を射抜いた。2番矢を胸に、3番矢を腹に射抜くと、沼の水面がたちまち血で染まった。
その時、空は稲光とともに激しい雷と雨で、暗く闇のようになった。その中を、打たれた大蛇は天に昇ろうとしたが力尽きて、体は地響きを立てて丘の上に落ち、魂だけが天に昇ったという。
間もなく嵐が収まり、村人が駆け寄った時、大蛇は頭を西に、尾を東に向けて息絶えていたので、後に西の在所を「蛇頭」、東の在所を「小谷(尾谷)」と呼ぶようになったと伝えられる。村人たちは大蛇の恐怖から開放されたことを喜び、弓の上手な武士に巡り会えた事、大蛇を退治出来た事を薬師如来のお陰とし、虫野の御堂を蛇頭のお宮の傍らに移して大蛇を供養したお地蔵さんと、大蛇の頭骨を一緒にお祀りした。今も、8月23日にはお地蔵さんに、9月24日にはお薬師さんに、お参りして念仏を唱える。また元の薬師堂の跡地は今も「薬師」と呼んでいる。


蛇頭橋


ひとくちメモ
若狭で捕れた魚が、但馬篠山へ運ばれていたことは、篠山町からの問い合わせで最近初めて判明した。その主なルートは、小浜や高浜から名田庄を経由し、京都府の鶴ヶ岡から原峠を越えて佐々江を通り、京都府園部町を経由して篠山町に至る道であった。京都府北桑田郡鶴ヶ丘にある旅館「きぐすりや」の宿帳には、大正地代に魚を販売に行った高浜の漁師の名前が残されている。






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