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おおい町(名田庄)

虫鹿野
Mushigano


む し が の


虫鹿野は三国岳の麓に位置し、公田(久田)とも呼ばれていた。ここにある皇王神社には、遠く5万年の昔に始まる伝説が残されている。
当時都があった津軽が、大津波により水没したため、次の都を山岳地帯の飛騨高山に移したが、海水位はさらに上昇して、ここも安全ではなくなった。そこで天皇は、舟で若狭の三国岳に逃れてここを都にしたという。この頃海水は、虫鹿野のまで逆流してきており、虫鹿野は別名「塩野」とも呼ばれた。虫鹿野、木谷、出合、永谷、挙原(あげはら)の人々は浸水を恐れて三国岳周辺に集まり、山岳民族として生き残ったといわれている。(後世これら5地区を虫鹿野村と呼んだ)
それから約4000年の世が移り、やがて履中(りちゅう)天皇の御代(400頃)となると、この地域一帯は鹿や猪の住む「鹿屋野(かやの)と呼ばれて、皇室の狩猟場になった。かの皇子塚(おうじつか)の伝説がここに生まれるのである。市辺押盤皇子(いちべおしわのみこ)を祀られた皇子塚に詣でた顕宗(けんそう)天皇は、父君(市辺押盤皇子)の神霊を、三峯(みつみね)王、三国岳の王として皇王神社に合祀されたとも伝えられ、その頃から人は言う、虫鹿野地区の住民は、遠く縄文以前の泥海時代を神国(しんこく)魂で生きた山岳王朝、その宮人の生まれ変わりである、と。


皇王神社
本殿横のカゴノキは村の    
天然記念物に指定されている。






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