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| おおい町(名田庄) |
| 中の妙応寺は、古くは密厳院と号する天台宗の本流であったという。文明年間(1469〜1486)に寺号を「願宗寺(がんそうじ)」と改め、その後「妙応寺」となり今日に至っている。 |
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| その由来の移り変わりは、蓮如上人が吉崎より丹波路を摂州に向かわれる途次、この地に立ち寄られたことに端を発する。このとき、小倉畑光久寺の住職正覚(蓮如上人直弟)という方が、近隣の人々に対する布教に自分の力の及ばないことを訴え、上人ご直筆の説法布教を願い出たところ、上人ご自身の布教行脚となり、それにより近隣7村が喜んで真宗に帰依したという。中村もそのうちの一村であり、密厳院を願宗寺と改め、間誓という住職によりその法儀を広め、信仰を盛んにしたといわれる。 |
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| その後、織田信長が大阪の御坊(ごぼう)を押領しようとして僧兵との乱戦に入ったという知らせを受けた、時の住職玄念は、御坊守りに加勢しようと寺を発ったが、大阪に着いた時はすでに戦乱が治まり御坊は無事であった。しかし、それを機に玄念は蓮如上人に随従することになり、大阪の籠屋町に願宗寺を興し再び帰山することはなかったため、門下宗徒が御本山に住職派遣を願い出、真了という僧を住職に迎え、寺号も「妙応寺」と改めて今日に至る。 |
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| 妙応寺 |
密厳院当時の弥勒菩薩の各仏様が 今も当寺に手厚く祀られている。 |
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