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若狭町(上中)

武生
Mushu


む し ゅ う


「たけふ」「むしょう」「むせい」と読んでも、「むしゅう」とは読みにくい地名である。
『若狭旧事考』では「虫生」と表記され、また、『若狭郡記』には「虫尾、今は虫生とかく」と記載されている。その他、建久7年(1196年)の『東寺百合文書』には、虫生五郎頼基という御家人がこの地を本貫としたと伝えられている。
しかし、それがいつの頃から武生になったのか、その由来は定かではない。
「虫」という語は、ちぎられたり、むしり取られたりしたような地形の崖や湿地を指すときに用いると、『地名用語辞典』には出ている。近くを流れる一級河川の北川が、古代にはこの集落の山際へ蛇行しており、途中にあったいくつかの小丘が削り取られて耕地になったともいわれている。
この集落の山裾には古墳群や社寺跡がいくつかに残されており、硅石岩の露出したところや不動の滝、布引の滝などがある。
氏神は金剣(かねぎ)神社で、白山明神の第一王子の金剣明神を主神とし、宝治元年(1247年)、加賀より勧請したとされる。。白山信仰で嶺北地方とつながりはあるが、越前の国府が置かれた「武生(たけふ)」とは関係が濃厚とはいいにくい。


武生集落


ひとくちメモ
毎年、村中の田植えが全部終わると、区長(昔は庄屋)が触れを回し、日を決めて仕事を休む。これは、若狭の江戸時代からある「田の神祭り」という風習で、この日、上中町と小浜氏の農村部(現在38ヶ所ほど)で田の神さまを祭る子供神輿が出て、村の全戸と田んぼを回る。田植えの無事終了を感謝し、秋の豊作を祈る伝統行事であるが、全国でも若狭にだけある行事だといわれている。






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