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若狭町(三方)

神子
Miko


み   こ


神子は、昭和44年の県道の開通までは、常神と共に陸の孤島であった。この集落には、平安時代から明治にかけての800年間に渡る歴史や漁村の生活を知ることができる貴重な『大音文書(おおともんじょ)』が残されている。多くの文書が桐材の背負い櫃に収められ、大音家に先祖代々守り継がれてきた。それらの文書334点、冊子110点は県の有形文化財に指定されている。
大音家は、所蔵の系図によると、近江の国伊香郡伊香村大音の、伊香具神社神主の四男神四郎安宗が、若狭国御賀尾浦(みかおうら、現神子)へ移住し、神子、常神の領主となり、刀称職を伝承しながら、姓を伊賀から賀茂、現在の大音に改称したと記されている。神子集落の先祖は、大音家一門と在来住民の合流といわれ、少しの田畑と山の幸、海の幸で生活してきた。元亨3年(1323年)の文書に「たて網」の記述があり、古くから漁業が主であったが、寛保2年(1742年)頃から藩の奨励によって桐実(ころび)の栽培が盛んになり、昭和初期まで続いた。
神子集落では限られた土地で生きるために、次男以下に漁業権や田畑が与えられず分家を許さない掟があり、戸数は長年に渡り36戸で変わらない。現在ではこのうち23戸が民宿を営んでいる。
神子という集落の由来は、御賀尾湾の「みかお」や、常神集落と共に、神にまつわる伝統や地名が多いこと、常神社に対して、神主の出である大音家から馬1頭をはじめ、高額の寄進をしていることなど、神と強く結び付いた歴史から、神の子の呼び名が最もふさわしいものとして付けられたように思われる。


神子の山桜


ひとくちメモ
常神半島神子の波風崎辺りは、東西1q、南北200mにわたり、300本を超える桜の老木が立ち並ぶ山桜の名所として知られている。中には幹周りが3m以上のものもあり、県の名勝に指定されている。






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