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| 若狭町(三方) |
| 向笠の集落は、神代に開かれたと説く郷土研究家がいるほど古く、神武天皇が大和国平定後、全国に役人を遣わし、地方に住む者を治めさせたが、そのとき向笠へ日向国吾田邑の人が来て向笠を開いたとされている。(『向笠沿革史』)また、集落内には、弥生時代後期から奈良時代にかけての遺物が多く、弥生式時代の銅鐸や縄文式土器も出土している。 |
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| 崇神天皇の時代に、河内国大神宮の神官6人が勅命で諸国を回り、北陸へ入り向笠に住みついたとされる。その時、氏神として国津神社に忍穂耳命(おしほみみのみこと)とににぎの命を祀ったといわれ、神官が笠に向かってきたことから向笠と言われるようになったと伝えられる。(『三方町史』) |
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| 氏神国津社では、毎年4月3日、先祖から継承された祭礼神事が古式ゆかしく行われる。この神事は村を4つの講に分け、それぞれに神事を行うというところに特長がある。1の組を越の村と称し、この講が他の講に先駆けて当屋から神社に向かって村立ちする。行列は天狗の面を先頭に、獅子・警護・大御幣と続く。天狗が先導するのは、天狗の形相をした猿田彦神が先導して悪霊を払うとされているためである。2の組は流鏑馬(やぶさめ)の村といい、馬を走らせ矢を射掛ける流鏑馬を行っていたといわれる。いつの頃か射掛けた矢が観客に当たったため中止されている。3の組は大村(おおむら)と称し、氏名(うじめい)から発した講といわれ、田植えの舞を奉納する。昔は葛のつるを頭に飾って舞ったが、今は烏帽(からすぼう)を後に下げ、乙女を装って舞う。4の組は田楽を舞う。これらの謹厳な神事は、清流を挟んで緑豊かな谷間の里に600年の歴史を重ねて守り継がれ、県の無形文化財に指定されている。 |
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| 国津神社祭礼 |
| ◆ | ひとくちメモ |
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宮中の食膳をつかさどる膳(かしわで)氏の治めた国であるといわれる若狭は、その御贄(みにえ/食材)を供給する国、いわゆる「御食国(みけつくに)」のひとつであった。若狭国三方郡の郡衙推定地に近い向笠地区の角谷遺跡からは、天平4年(732年)に租庸調の庸布の付礼にされたと思われる木簡断片が、また田名地区の田名遺跡からは、調塩や庸米の付礼と思われる木簡が発見されている。
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