| 気山区の中のひとつの集落である.水月湖と久々子湖の間の久々子寄りに位置しており、有料道路レインボーラインの入り口に近い。村中を水月湖と久々子湖を結ぶ浦見川が流れており、この川を利用してシジミ捕りをする人たちもいる。この川は、江戸時代に人工的に作られた水路で、三方五湖めぐりの遊覧船も通る名所となっている。 |
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| 寛文2年(1662)大地震があり、三方湖や水月湖からの排水路になっていた気山川が埋まって両湖の水が湖岸を覆い、いくつかの集落では水没するところが出た。この湖の水を排水するため、小浜藩では水月湖と久々子湖を結ぶ運河を計画し、浦見坂を開削した。この人工水路が浦見川であり、今は観光の名所となり、また、村人の生活の場ともなっている。 |
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| 「苧」という地名の由来はわからないが、一説には宇波西(うわせ)神社の祭礼で舞われる「王の舞」の「王」から来ているのではないかと言われている。また一説では、この地では昔、麻の栽培をしていたのではないか、地名は麻の古名である「苧」をとったのではないかという。しかしながらこれらは文献もなく、はっきりとはわからない。 |
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| この集落は、もともと水月湖半の福浦というところにあり、いつ頃か現在の久々子湖畔に移ってきたものである。いつ頃、また、なぜ現在の場所に移ってきたかは定かではない。しかし、元禄年中に編まれた「若狭郡県誌」には、「苧生(おう)」という地名で気山村のひとつとして紹介されているので、江戸時代の元禄以前であろうと思われる。 |