美浜町牧口から三方町苧(お)に通じる農道と梅街道の交差点から、久々子へ50km位寄った田圃の中に、ぽつんと10m位の円墳がある。この古墳が「恋の松原古墳」であるが、松原自体がどのあたりにあったかとなると、判然としないまま今日に至っている。 地名の由来は、以下のような伝説による。 |
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| 『昔、若い男女が此処で会うことを約束し、女が先に来て待っていたところ大雪となった。女は、男が来ることを信じて何時でも待っていたが、ついに椎橋のところで凍死してしまった。男も悲しみのあまり湖に身を投げたという。それ以来人々はこの地を「恋の松原」と呼んだといわれている。』 |
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| 椎の橋は、宇和西神社の東数百歩のところにあり、シイの木の根が渓流に横たわり橋となっていたと伝えられているが、現存していない。またこの時女が雪の山坂を恨んだので、その坂を恨み坂(浦見坂)と称したともいわれている。 |
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| 平安期には「ほのかにも猶あふことを頼みてやこひの松原しげりそめけむ」(祐子内親王家歌合)などと詠まれ、他に「八雲御抄」や「夫木抄」等多くの歌が残されている。室町期には当地を訪れた道興准后が「とはばやなたが世に誰をうらみ坂つれなく残る恋の松原」と詠じた。 |
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| 古墳の近くに久々子松原があるが、関連は未詳である。なお、恋の松原の所在については、播磨国説があることも付け加えておく。 |