| 美浜町西部三方五湖の一つである久々子湖の北東部に位置し、北は若狭湾に面している。古くは久々子湖畔の字小崎というところに村が開け、漸次現在地に移住したといわれる。 |
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| 地名は湖の名によるが、久々子の「くぐ」は白鳥の子名クグ・クグイに由来するとされている。字寺山には寺山古墳、久々子製塩遺跡、字高畑には、塚の耳塚、字口背湖には弥生末期の集落跡、口背湖遺跡がある。 |
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| 昭和53年の発掘調査で口背湖遺跡からは5軒の住居跡を発見。環濠の溝から高杯、鉢、壷、石製ペンダントが出土した。これらの出土品は、機内、山陰、東海で製作されたものであり、古代の交易が窺える。 |
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| 久々子産の鰻は京都に運ばれ賞味されたが、久々子を冬子と誤り、冬子鰻と呼ばれたそうである。今の久々子集落は、昔はほとんど砂浜であったと考えられる。屋敷の下は殆ど砂地である。また、早瀬川を浚渫したため、水位が下がり、久々子湖畔に土地が開けたのである。今も村の上流に古川があり、区を走る元県道沿いに新川がある。 |
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| 久々子のホテルひろせの東側には堀川が高いところにあり、増水した久々子湖の水をはいていた。また、川藤甚太夫の北前船も有名であり、元阪神タイガースの川藤幸三氏はその4代目か5代目である。この集落からは米国に多くの人が働きにいっており、その仕送りで立派な家が多い。故に、アメリカ村とも呼ばれた。(『日本歴史知名大系』) |