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敦 賀 市
船町
Funamachi
ふ な ま ち


この町をおもしろ地名というのは不謹慎かもしれない、しかし歴史の変革期に起こった一大事件を風化させないためにも、あえて取り上げさせていただく。
時は幕末の動乱期、尊皇攘夷派の水戸藩主徳川斉昭の意志を継ぐ「天狗党」は、幕府門閥派の前に次々に追い詰められ、斉昭の子「一橋慶喜」を頼って1000名余りが京都へ向かった。途中、幕命を帯びた各諸藩との交戦や進路妨害に遭いながらも敦賀の到着した天狗等に、幕府側討伐軍の総大将は自分たちが最も頼みとする慶喜であることが知らされる。幕府は、前進の意志を失った彼らを船町の鰊倉に収容した。これは北前船で運ばれてくる肥料用鰊を入れておくための土蔵であった。窓は塞がれ、筵(むしろ)だけの床には便器代わりの桶が一つ置かれたきり。足かせをはめられ、食事は1日2個の握り飯とぬるま湯のみ。この劣悪極まりない環境のもと、多くの党員が病死し、また次々に土蔵から刑場に引き出されていった。
天狗党の命は失われたが、幕府は非難を浴び、討幕派に彼らの遺志は乗り移って明治維新は3年早まったといわれる。武田耕雲斎以下天狗党411名(戦病死者を含む)は、移築された1棟の鰊倉とともに松原神社に神となって眠っている。
「船町」は今はない。鰊倉も並んでいない。しかし、そこは、日本の国の将来を案じ国の未来を命がけで憂えた彼らの、最期の場所であったことを忘れてはならない。


敦賀漁港
当時の面影を残す敦賀漁港
毎日様々な魚が水揚げされる。






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