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敦 賀 市

常宮
Jyougu

じょうぐう


敦賀湾の東側を東浦地区、西側を西浦地区と総称しているが、常宮は西浦地区に位置し、後背地は山地である。北方から西方にかけて山を背にしているので、冬期の北西季節風が当たらず、年間を通じて波静かな海岸である。
伝わるところによれば、仲哀天皇は神功皇后と共に角鹿(敦賀)に来られた。仲哀天皇は陸路から筑紫(福岡県)に向かったが、皇后は角鹿にとどまった。皇后は常宮に常駐することを希望して、「常に居宮し波静かなる哉楽し也。」といわれた。この故事が常宮の地名起源で、後には常宮神社という社号になった。
気比神宮社記によると、仲哀天皇2年(193年)6月卯日に穴門国(長門)の豊浦、天皇のもとへ敦賀の皇后をはじめ武内宿祢(すくね)たち百官が海を渡り、この地を訪れた。その状況をとどめようとして、毎年6月卯日(7月22日)に気比神宮側からみると総参祭(そうのまいり)という敦賀湾の海を舞台に神渡りのお祭りが盛大に行われ、常宮神社側では当日例大祭が行われている。
神功皇后は長門へ向かう際、小船に分乗し、食糧や水などを補給しながら沿岸づたいに進んだことから、長門までの日本海沿岸には神功皇后にまつわる史話や遺跡が点在している。
総参祭は、かつて気比神宮から常宮、そして常神(三方町)へと神渡りの儀式が進められたが、ある年、嵐に遭い多勢の人が亡くなった事故があり、以来、沿岸づたいとはいえ、外洋には出ず常宮までの海路となったという。
常宮と常神、そこには神功皇后の海外遠征の伝説が色濃く残っている。


常宮神社


ひとくちメモ
敦賀半島の中ほど、常宮に鎮座し、天八百比(あめのやおよろずひめ)・仲哀天皇・神功皇后を祀る常宮神社。
慶長2年(1597)、朝鮮ノ役で秀吉軍が新羅から持ち帰った朝鮮鐘(国宝)が寄進された。地元の人々には安産の神様として崇拝されている。






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