敦賀市の町のシンボルは気比神宮大鳥居であるといっても異論を唱える人は少数であろう。北陸道一の宮、戦前の社格は官弊大社である。 昭和20年7月の戦災を免れた大鳥居は重要文化財であり、日本三大鳥居の一つでもある。神楽はその鳥居正面の通りの地区名で、この通りの延長線上には、これまた日本三大松原の一つ、気比の松原がある。つまり、神楽通りには日本三大大鳥居と三大松原を直線で結ぶ通りでもある。 |
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| このように、神楽は気比神宮との結びつきが大きく、気比の神楽は平安朝時代から著名となっていた。そうしたことから、氏神の神縁によって命じ7年に神前のこの地区を神楽と命名したと考えられる。 |
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| 鎌倉時代、正安3年(1301年)に遊行二代真教上人が、巡国のとき、この神楽通り(当時は三丁縄手と称した)がぬかるみ、参拝に難渋しているのを知ったため、浜より砂を運び、参道を整備したという故事がある。以来、時宗本山、清浄光寺(藤沢市)の遊行法燈を継いだ上人は、必ず一度、このお砂持ちの古例を修することになっている。 |
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この故事を聞いた松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)紀行文として最高傑作といわれる『奥の細道』の最終章、敦賀の段にて、 “月清し 遊行のもてる 砂の上” と詠んでいる。その句碑は気比神宮境内に芭蕉像と共に立っている。 |