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敦 賀 市
鉄輪
Kanawa


か な わ


「汽笛一声、新橋を」で始まる我が国の鉄道建設の大合唱は、西へ西へと進み、ついに東の都と西の都を結んだ。人馬の往来は過去のものとなり、人、物、金は黒煙を吐きながら力強く疾駆する鉄の馬車=蒸気機関車が運ぶ新時代となった。馬百頭分の働きをするといわれた「丘蒸気」の走る姿に、当時の人々は驚きの目を見張った。
テレビもラジオもなく、情報というものがほとんどどこからも届けられない時代、敦賀にも蒸気機関車がやって来ると聞き、町は大騒ぎとなった。近在の村々から、弁当を手に人々が集まる。二本のどこまでも平行に走る鉄の道の上を、いくつもの荷車を楽々と曳き、黒煙を吐き、轟音をたてながら走る「丘蒸気」を一目見ようと。
富国強兵、欧米に追いつき追い越せの念に燃える明治政府が、東海道の大動脈を完成させた後、次に目指したのは大陸であった。そこで、東海道線に最も近い港町「敦賀」に向かって、さらに鉄道は延びてきたのである。航空機がまだまだ未発達の時代、外国へ行くためには船、港が主役であった。敦賀は、大陸への玄関口、さらにシベリア鉄道と結んでヨーロッパへの最短コースの玄関口でもあったのである。
東京発敦賀経由ロンドン行、パリ行の切符が売られ、敦賀駅に汽車が到着すると、「ウラジオストック、ハルピン、奉天方面のお客様は、お乗り換え下さい」のアナウンスがホームに流れたという。現代の国際空港ロビーのような光景が、ここ敦賀駅(鉄輪町)で、毎日のように見られたのである。
文明開化の名のもと、機関車の動輪は止まることなく、国の発展を信じ回し続けられた。敦賀駅正面左側には、発展の象徴ともいうべき動輪が置かれている。


機関車の動輪
敦賀駅開業100周年を記念して
昭和57年に建てられた。    






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