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敦 賀 市
御影堂前
Mendomae


めんどまえ


敦賀市を象徴する気比神宮大鳥居(重文)を背にして立つと、西に真直ぐのびる道路が見えるが、かつては大鳥居から300m余り離れて向かい合う形で、西方寺という寺があった。境内には時宗の真教上人の御影堂があったため、気比神宮から西方寺までの区域を「御影堂前町」と呼んだ。「御影堂前町」は、明治7年に「神楽町」と改められたが、現在でも、気比神宮祭礼の斎宮の引き手を努める達神楽一丁目の氏子達が着る法被には、背に大鳥居、胸襟に「御影堂前町」の文字が朱く染められている。
遊行真教上人がここを訪れた際、気比神宮までの参道がぬかるみ、参詣の人々が難渋しているのを知って、砂を運んで参道整備をしたが、以来、時宗本山(藤沢市清浄光寺)の上人が交代するたびに、「遊行上人のお砂持ち」の行事が御影堂前町で行われる。戦災にて焼失した西方寺跡には、石碑がひっそりと立っている。
一方、気比神宮大鳥居は両部型あるいは枠差鳥居といい、安芸の宮島「厳島神社」の鳥居と同型式である。この型式は、海や沼地等、足場の悪い場所に用いられる型であり、これは気比神宮の土地が低く、水が溜まりやすく地盤が軟弱であるからに他ならない。以前はこの附近一帯は地下水が豊富な地域で、上水道が普及する前はいたるところで自噴する豊かな水を目にした半面、お砂持ちに象徴されるように大雨が降るとすぐに側溝や小さな川が溢れた。
御影堂前町−お砂持ちの故事−鳥居の型式−豊富な地下水。これらは、この地区の歴史を今に伝えるキーワードである。


気比神宮大鳥居西方寺跡地
 海をテーマにした科学館が
建っている。       






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