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敦 賀 市

手浦
Tanoura


た の う ら


敦賀港の西側地区は総称して西浦と呼ばれ、常宮よりさらに半島の先に向かって進むと海に美しい島=水島が見える海岸の地区を手浦という。
建暦2年の気比宮社領注進目録には、田浦とあり、正安3年(1301年)の泰文書には手浦とある。既に700年前に手浦とあるので、古い地名だといえる。
享禄の頃から天文の頃(1528〜1555年頃)にかけて、海賊船が西浦を横行していた。天文7年(1538年)に再びこの浦を襲ったので、刀禰職の秦氏はこれと戦い討死し、他に負傷者3人を出した。これは今から約460年以上も前のことで、この時も、字は手浦となっている。
手浦を田浦と書いたのは、言語学上で「田」は「手」の義であり、また平らなことを意味している。地名の起こる当時、この手浦は西浦において、一番平地が多く、また耕田や畠もあることから、地名になったと考えられる。


手浦海岸


ひとくちメモ
“小萩ちれ ますほの小貝小盃” “波の間や 小貝にもじる萩の塵” “寂しさや 須磨にかちたる浜の秋”
これら芭蕉の句が「本隆寺」の句碑に刻まれている。8月16日、芭蕉は弟子たちを連れて西行法師ゆかりの色ヶ浜へ船で渡った。浜辺の本隆寺で休み、茶を飲み酒を温めているうちに夕暮れの寂しさが募り、この句が生まれたという。






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