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| 敦 賀 市 |
| 敦賀市の北東にある小高い山を手筒山と呼ぶ。標高170mのこの山は、尾根続きで金ヶ崎という岬が海へ突き出している。 |
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| かつてこの天筒山と金ヶ崎には山城が築かれていた。市街地からこの2つの山城はよく見える。逆にいうと天筒山からは、敦賀の隅々まで一望でき、海に目を向けると、敦賀湾内の船の動きもよく分かる。言いかえれば、天筒山に立つことは、町と海の様子が同時進行で知ることができるということである。つまり、古人にとっては、まさに神の視点を得られる場所といっても過言ではない。 |
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| 天筒山のことを古くは、御山(みやま)・行幸山(みゆきやま)といい、神聖な山として、信仰を集めてきた。「天」は手と同じく山の峰が平たく広いという意味で、更に、神に通じ神聖なところを表す美称でもある。また「筒」は一ツ二ツというように筒々という意味で、神霊が通う山であり、鎮まり給う山であることをいう。 |
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| 織田信長が秀吉や家康を伴って越前朝倉氏攻めの戦をする際、天筒山城は激戦地になり、おびただしい血が流された後、織田方の手に落ちたという悲史を持つ古戦場でもある。 |
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| 手筒山「山の神」境内 |
| ◆ | ひとくちメモ |
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若狭は信長、秀吉、家康、参集の地である。戦国時代の末期、越前朝倉氏を攻める織田信長の前線基地となった若狭。元亀元年(1570年)、敦賀の金ヶ崎城や天筒山城を攻めるため、織田信長が熊川から入城し、それに従った豊臣秀吉や徳川家康も敦賀に布陣した。
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