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敦 賀 市

角鹿町
Tsunogacho


つのがちょう


JR敦賀駅に降り立つと、正面の銅像と対面することになる。都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)像である。
敦賀は古代三大要津のひとつであり、笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていた。
日本書紀崇神天皇の条に、朝鮮半島任那国(みまなのくに)の王子であるツヌガアラシトが来着したという。(AD32年頃)その王子の額に角のようなものができていたので人々は「角額の人」といい、都奴賀とも書き、さらに転じて角鹿(つのが)と記すようになった。恐らく冠か冑の類をかぶっていたものと思われる。
その約100年後に角鹿国が定められ、さらに角鹿海直(あまのあたひ)という海事担当の役人が特別に配置されている。大陸に向かって、日本海と敦賀の港が古代より重要視されていたことがわかる。この角鹿が敦賀の地名起源になったといわれ、気比神宮境内摂社にツノガアラシトを祀る角鹿神社がある。
さらにこの角鹿神社東側の地区を戦後、角鹿町と名付け、町内にある中学校を角鹿中学校と呼び、この敦賀の地名起源伝説を今日に伝えている。
松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)に『奥の細道』の道中、この敦賀の地を訪れているが、敦賀の古名の角鹿にちなんだ句を詠んでいる。
“ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月”
この句は気比神宮境内にある『芭蕉翁月五句』の中に刻まれている。


JR敦賀駅前のツノガアラシト像


ひとくちメモ
「越前がに」が資料に初めて現れるのは『古事記』中巻の「応神天皇」の条項で、淡海国へ行幸された酒宴の時、歌で「この蟹や何処の蟹?」と問うと「百伝ふ、角鹿の蟹横去らふ。」と答えが返ってきたという。すでに美味として知られていた。






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