| 敦賀は越前の街道を下り、まず最初に出会う若狭路の入口である。越前方面からだけでなく関西、関東からも若狭への旅の起点になるのが敦賀である。 |
|
しかし、地名となっている「敦」の字を漢和辞典で引いてみても、「ツル」という読み方は記されていない。たいていの人は敦賀という字を見ると「ツルガ」と読むことは知っているだろうが、それは江戸時代中期以降に北前貿易の中継基地だったことや、ウラジオストックとの定期航路が設けられていたという歴史の上での認識から来ているのではないかと思われる。
地名としての「敦賀」という字がいつごろから使われるようになったかはわからないが、『広辞苑』を繙くと「昭和12年市制」としてその土地について解説されている。 |
|
| 現在の敦賀市の地図を広げてみると、あまり難読を思わせる地名は見あたらないが、それは戦後の地名改正などで変わってしまったからで、かつては難読地名のところがもっと多かったに違いない。もっとも、今なお俗称として難読地名時代のままの地名が残されているところもあるそうだ。 |
|
| ところで、敦賀市を流れる河川に「黒河川」という川がある。黒河と書いて「クロコ」と読む。黒河といっても流れる水が黒いわけではない。河床は花崗岩が多く、むしろ白っぽく見える川である。この黒河もまた難読といえば難読に属する地名ではないだろうか。さて、その黒河川を遡ってゆくと、「山」という集落に出る。黒河川沿いでは最奥の集落だが、山というほどの山間部にあるわけではない。山の麓。だからだろうか、これからいよいよ山にはいるのだぞという雰囲気が漂ってきて、ここを訪ねるたびに気持ちがワクワクし、楽しくなってくるのである。 |
| 甲斐崎 圭
|