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若 狭 町

若狭町
Wakasacho
わかさちょう


2005年3月31日、上中町と三方町が合併し、三方上中郡若狭町が誕生した。

(旧)みかたちょう


三方町は、美浜町とともに三方郡に属する。昭和28年に八村(やむら)、西田の2村が合併して三方町になり、翌年、十村(とおむら)を編入した。三、八、十と地名に数字がよく出てくるところだ。なお、当時は「とおむら」と読んだが、現在のJR小浜線の十村駅は「とむら」と読む。
国の名勝に指定されている景勝地、三方五湖。三方湖、水月(すいげつ)湖、菅(すが)湖は三方町に、日向(ひるが)湖は美浜町にあり、久々子(くぐし)湖は両町にまたがる。
この久々子湖のみ湖のできた経緯が違うそうだ。他の4湖が断層湖であるのに対して、これは潟湖(せきこ)。砂州などによって海と切り離されてできた。潟(かた)ともいう。そこで、「ミカタ」の「ミ」は海の意、「カタ」は潟の意にとれる。海と潟のある地、それがミカタ。
縄文遺跡の鳥浜貝塚。今三方湖を遥かに望む地だが、このあたりで貝拾いが行われていたのか。2000年にオープンした縄文博物館で、往時をしのぶことができる。三方湖に面した伊良積(いらづみ)から水月湖畔にかけては昔から、西田梅の産地だった。満開の梅を見晴らす山が、レインボーラインの梅丈岳(ばいじょうだけ)。今、梅干は福井梅の名で人気が高いが、西田という古知名に愛着も感じる。
“若狭なる 三方の梅の 浜清み い往き還らひ 見れど飽かぬも”(『万葉集』読み人知らず)
松田 十泊

(旧)かみなかちょう


上中町は、名田庄村と共に遠敷(おにゅう)郡に属する。昭和29年に鳥羽・瓜生(うりゅう)・熊川・三宅・野木(のき)の5村が合併して町制をしいた。
これら旧5村、いずれも海に面していなかった。だからもちろん現在の上中町も海に面しない。遠敷郡は海のない郡なのだ。両町村が東西から挟む形の小浜市は「海のある奈良」といわれるのにおもしろい。福井県は「越山若水」といわれ、越前は山、若狭は海が特長なのにその若狭で海に面しないというのはおもしろい。
福井県内には大小3000もの古墳があるといわれるが、その内の数百基もがこの町にある。日笠の上船塚、脇坂の西塚、上之塚など5基はいずれも古墳時代中期の前方後円墳で、国の史跡指定。相当古い時代からここにクニがあったことが窺える。
末野集落の恵比寿神社辺りには、遠い昔の窯跡が多く散在している。陶器づくりが盛んだったようで、「陶野」が末野になったようだ。
車がなかった頃、小浜に揚った鯖などの魚は、北側沿いの若狭街道を京の都に担いで運ばれた。鯖街道。熊川の宿跡にそれを偲ぶことができる。逆に、北側は、熊川辺りの上流部から三宅で鳥羽川と合流し、野木辺りまでが中流部、そして小浜市に入る。上中町に海はないが、北側の上・中流部がある。
松田 十泊






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