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美浜町

機織池(はたおりいけ)

 美浜町に悲しい伝説が伝わる場所があります。その名も〔機織池〕と呼ばれている水田です。江戸時代の郷土誌によれば・・・
 『昔、機織を背負った娘が氷の張った池を渡っていると氷が割れ娘は池に沈んでしまった・・・そして夜になると池の中から機を織る音が聞こえてくるようになった・・・』
というものです。この伝説は古くから家内工業として機織が盛んな、この地方ならではの伝説です。その後、池は〔機織池〕と呼ばれ現在は水田となっています。そして国道をはさんだ坂尻にある〔一言神社〕は娘のために村人たちが造営した機織神社を、後に合したものです。

場所 : 佐柿口バス停から国道27号線の椿トンネルを潜ると右手にその水田が広がっている

恋の松原〔美浜町〕

 美浜町に伝わる、もう一つの伝説です。気山の久々子(くぐし)湖のほとりに「恋の松原古墳」があります。ここ「恋の松原」は、かつては「古美(こみ)の松原」とも呼ばれていたそうです。そして、この地に伝わる伝説は悲しい恋の物語なのです。
 『久々子湖近くの気山という場所は、昔、松林があったそうです。冬の寒い日に男女が気山の湖畔近くで落ち合う約束をしました。まず女性が先に着き長い間待っていましたが、男性はなかなか現れませんでした。そう大雪のため男性は来られなかったのです。女性は約束を守りそのまま待ち続けましたが、ついには橋の下で凍え死んでしまいました…』その話を聞いた人々が、その松林のことを「恋の松原」と呼ぶようになったそうです。
 現在は「恋の松原」の周辺に松林はなく、湖岸からも300bほど離れています。
(またこの時、女性が雪の山坂を恨んだので、その山を恨み坂山と称し、今は浦見坂と書いています。男もまた恨んで湖に身を投げて死んだ、というものです)

場所 :美浜町牧口から若狭町苧(お)に通じる農道と梅海道の交差点から、久々子へ寄った田圃の中に    ある10m位の円墳。 



「逢ふことを
  いくどかまたん若狭路の
やまのくろつみつみし らやばや」